Diary&Column/おさる式茶藝館

2004年10月16日

「ズバリ書くわよ」...役に立たない素敵を目指して

コラムとは何らかの批評が必ずあるもの、と知ったのは最近のことだ。
私はこの“おさる式”をコラムとかテキトーに呼んでいたので
とっても困った&ハズカシかった。だって何も批評してないもの。
んじゃあエッセイか?と言えばそんな大層なものでもないし。
やはり初回でいみじくも自ら書いている通り、身辺雑記が分相応か。

前にも書いたように、わたくしの身辺はいたって小さいてのひらサイズなので
ほとんど事件らしき事件は起こらない。
自分史の年表の“主な事件”の項は貯金と同じく気持ちいいくらいに何もない。
しかし当たり前といえばしごく当たり前だが、昨日と全く同じ今日はないのね。
年表のハードルを低く設定してみると、ささやかな出来事が見えてくる。
こうして何かとスレスレのギリギリさを以って、
おさる式のネタは拾われているのだった。

書くときに思っている、というか自分に言いきかせているのは
まず毎回面白くなくてもいいんだ、ということ。(逃げ道?)
三度に一度面白いものが書けたらいい、って。
松浦弥太郎さんという書籍商&文筆家の「最低で最高の本屋」という本で、
連載についてそう書かれた文を読み、早速その言葉はもらっといた。気が楽になっ
た。
私の場合はちょっと甘く見積もって十度に一度でも、いいじゃん今回の!と
自分で思ったらそれでヨシとしております。それが連載だ、っつうことで。
あとは、何の役にも立たないことを潔しとすることかな。
勘九郎さんが「浅草パラダイス」だったか「地獄めぐり」だったか、
自分の出演している喜劇について「あのね、もう何の役にも立たない芝居なの」って
愛を持って語ってたんだけど、それがユリイカ!って感じに胸に響いたのだ。
件の芝居は果たして何の役にも立たない素晴らしさに満ちており、
この役に立たなさ加減が生きていくには案外必要だ、とすら思ったね。
分かりにくいがそんな微妙な高みを目指したい、というのが心にある。

などと諸々思いながら書いてきたこの連載がこっそり100回を迎えました。
何もなくとも自分を褒めてあげたい気持ちは常に余剰気味のおさるであるが
今回はいつもより念入りに褒めテイスト五割増し。えらかったね、おさる。
しかし書くことって一人だと思っていたけど、読んでくれる人がいる事実に
間違いなく私は生かされておるのです。ちょっと泣きそうです。
100回の区切りとして、いま一度皆さんに有難うと言いたいです。
あとはまた、もういいよ……って言われるまでだらだらと書いていく所存だ。
しぶといっすよなかなかに。